ジョン・ジョージ・ヘイグ John George Haigh

いわゆる「ロンドンの吸血鬼」。(1909~1949.8.10)
ロンドンで、9人もの人間を殺した連続殺人鬼。「殺した人間の血を飲んだ」と記した自筆の手記が発表され、世間を恐怖のどん底に突き落とした。

1909年、英スタンフォードに生まれ、敬虔なキリスト教徒の家庭で育ち、教会の合唱隊にも入っていた。
1934年7月、ベアトリス・ハーマーと結婚。
1934年から、1945年まで、詐欺を繰り返しては、シャバと塀の中を往復。(書類の偽造を得意とした)
1946年秋、最初の殺人事件に手を染め、1949年までに、9件の殺人事件を犯す。

1949年、ヘイグの裁判は、サセックスで行われた。
弁護側は、ヘイグをパラノイアと診断した医師の所見を裁判に提出したが、陪審はそれを偽装と判断した。
有罪となったヘイグは、1949年の8月に死刑となり、その後、ヘイグの手記が、複数の新聞・雑誌に掲載された。

《手記の内容》
12歳のときに、手を怪我して、自分の血を舐め、そのときに「自分が吸血鬼の子孫であるのを発見した」。
1944年、35歳で自動車事故にあい、頭からの出血が、口に入り、「何かが目覚めた」。
そのときをきっかけに、血のしたたる十字架の森をさまよう夢をみるようになった。森の中には、血を集めた盃を差し出し、「飲め」と命じる男がいた。
やがて、夢の中だけでは、吸血の欲求は満たされなくなり、現実の殺人を犯し、被害者の血を飲んだ。

ヘイグは、手記の中で、「自分は、吸血の欲求に従ったのであり、金銭を目的として殺したことはない」としている。
しかし、実際には、殺した人たちの所有地を、書類を偽造して売り払うなど、かなりの金を儲けている。
死体の処分も、ドラム缶の中で、酸によって溶かしており、用意周到である。

ヘイグの犯罪が発覚したのは、七番目の犠牲者、ローズ・ヘンダーソンの兄、アーノルド・バーリン氏が、妹が行方不明になる前に会ったという「ヘイグ」が、別の夫人の失踪事件でも、「最後に会った人」として報道されたことに気づき、警察に通報したためである。
ヘイグの住居に踏み込んだ警察は、まだ完全に溶けていない、犠牲者の体を発見した。

ヘイグの手記によれば、9人の犠牲者すべての喉を切り裂き、そこからあふれる血をコップに集めて飲んだとされる。
しかし、死体がほとんど溶かされているため、警察は、喉を裂かれた犠牲者を発見したわけではない。
陪審の判断のとおり、ヘイグはパラノイアを装って死刑を逃れるために、吸血の話をでっちあげたのか、それとも、本当に吸血の欲求にとらわれた異常者だったのか、真相は闇の中である。
しかし、ヘイグの手記を読むと、文が書かれた時期が、死刑確定後であることがわかる。(ヘイグは、自分が死刑になることを理解している)これは、考えると「装いパラノイア作戦」としては矛盾するのである。
あるいは、ヘイグは、本当に人ではなく、吸血鬼=不死者だったのだろうか?
ヘイグは、自分の手記を、「永遠の命なんてあるのだろうか。俺はもうすぐそれを知るだろう」と結んでいる。

《手記の邦訳状況》
●「吸血鬼の告白」というタイトルで、角川文庫「怪奇と幻想 第一巻 吸血鬼と魔女」に収録。長島良三訳。現在絶版。
●「吸血鬼の告白」のタイトルで、月刊ペン社「恐怖と幻想 1」に収録。長島良三訳。現在絶版。

入手するなら、古本屋をマメに探すのが、結局は早道のように思います。

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