ブラム・ストーカー Bram Stoker

「吸血鬼ドラキュラ」の著者。世界一有名な吸血鬼作家。(1847.11~1912/4 ダブリン生)
正式な本名は、「エイブラハム・ストーカー」なのだが、愛称ブラムが定着しきっており、世界中どこでも通用するので、ここでも「ブラム」をタイトルとする。

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ブラム・ストーカーとは……

父、母ともに役人の家に生まれ、体が弱かったため、8歳までをほとんどベッドですごした。この時代に、想像力が培われたものと思われる。

16歳で、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに入学。この頃から、演劇に興味を持ち(父親ゆずりらしい)、劇評を書くようになる。その評が認められ、新聞社「メイルズ」の演劇部記者となり、名優ヘンリー・アーヴィングと親しくなる。
アーヴィングは、ブラムの演劇に対する情熱を知り、自分の劇団に引き抜き、自分の秘書とした。
劇団で、ブラムは営業や広報のほか、事務仕事を総合的に担当し、ちょい役で舞台出演も果たしている。

あるとき、ファニュの「カーミラ」を読み、自分も吸血鬼ものの小説を書くことを思い立ち、吸血鬼伝説について綿密な資料調査を行い、「吸血鬼ドラキュラ」を書き上げた。(そのとき、副次的にできた短編物語を集めたものが「ドラキュラの客」
ドラキュラを書くにあたって、ブラムは、アーヴィングの計らいで東欧の伝承に詳しい学者アルミニウス・ヴァンベーリに会見し、知識を授けられている。
「吸血鬼ドラキュラ」は、アーヴィングの劇団の芝居にかけられ、評判を呼んだ。

アーヴィングが亡くなってから、ブラムも演劇界から離れ、いくつかの小説を執筆したものの、「吸血鬼ドラキュラ」ほどの小説は生まれなかった。
ちなみに、ブラムの生前に、「ドラキュラ」は映画化されていない。

ブラムは、何点か写真が残っている。いずれの写真でも、短い頬髯のおじさんである。古い写真なので、どれもぼやっとしたモノクロで、ちょっと怖い感じがする。しかも、ブラムの表情が、いかめしくて怖いのである。無論、読者を怖がらせるために撮った写真ではなく、単にかしこまった肖像写真を撮ったらそうなったのだろうが、ホラー作家としてはいい感じである。

私生活では、1878年に、フローレンス・アン・レモン・バルコムと結婚している。

ブラム・ストーカーの著書

「ヘンリー・アーヴィングの思い出」
「吸血鬼ドラキュラ」
「ドラキュラの客」
「白蛆の巣」
「七つ星の宝石」
(小説以外)「アイルランドの小審判所書記の職務」1879年
ほか

創元文庫 「吸血鬼ドラキュラ」ブラム・ストーカー
国書刊行会 「ドラキュラの客」ブラム・ストーカー

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