サテュリコン

※「サテュリコン」は、吸血鬼テーマの小説ではありませんが、吸血鬼について語られる部分があり、しかも資料として面白いので吸血鬼小説のカテゴリに一項を設けます

トリマルキオンの饗宴で語られる吸血鬼

古代ローマの風刺小説である「サテュリコン」中の、「トリマルキオンの饗宴」の章で、宴会の余興的な不思議話として、吸血鬼女について語られる部分がある。

トリマルキオンによれば、
「ある亡くなった少年の通夜の最中に、家の外から吸血鬼女たちの叫び声が聞こえてきた。肝の太い男が、刀を抜いて外へ出ていき、一人の吸血鬼女を突き刺した。しかし、家に戻ってきた男は、吸血鬼女の手に振れたために、全身鉛色になって死んでしまった。気づいたら、亡くなった少年は、いつの間にか一束の藁に姿を変えていた。吸血鬼女たちに、藁と取り換えられてしまったのだろう、ということだった」
そうである。

トリマルキオンは、これを実話として話しており、「ほら話」の態で話しているのではない。
この話は、ほんの2~3分で読める長さである。小説「サテュリコン」の中では、小さな小さな一要素に過ぎない。また、この話について登場人物が深く考察することもない。なので、上にも書いたが、「サテュリコン」は吸血鬼小説ではないのである。

トリマルキオンの語る吸血鬼は、

トリマルキオンの語る吸血鬼女の特徴を、下に挙げてみる。

  • 性別は「女」……はっきり「吸血鬼女」とされているので、疑う余地なく女なのだが、これはもともと女だけのものなのだろうか。それとも、「吸血鬼には男も女もいるけど、その中の女たち」なのだろうか?
  • 子供の死骸を奪う……この子供は、ご主人様お気に入りの稚児で、要するにかわいらしい子供だったのではないかと推察される。吸血目的で奪ったのだろうか、それとも可愛いから「美的なもの」として奪ったのだろうか、あるいはその両方だろうか
  • 簡単に人を殺すことができる……どうやら、ただ触れるだけで、それができるらしい

吸血鬼女の「見た目」は不明である

トリマルキオンは、実体験を語っているので(少なくとも実体験の態で語っているので)、見てきたように吸血鬼女のことを話しているが、よく読むと、彼は

「正直、自分の目で吸血鬼女を見たわけじゃない」

と言っている。
彼が見聞きしたのは、
「外で叫び声があがる」→「刀を持った男が出ていく」→「吸血鬼女のうめき声が聞こえる」→「男が戻ってきて、全身鉛色になって倒れる」→「母親の腕の中の少年の死体が、藁に代わっていた」
ということだけである。

トリマルキオンは、吸血鬼女を目撃していない。彼は声だけを聴いたのである。男が吸血鬼女をさしたというのも、「うめき声がしたんだから、刺したんだろう」と勝手に解釈しただけである。

見ていないものだから、トリマルキオンは吸血鬼女の見た目を描写できない。しかし逆に、これは「本当にあったことなのだ」という信ぴょう性につながっている。なぜなら、見るも恐ろしい吸血鬼女の様子を創作しておしゃべりすることくらい、たぶんトリマルキオンなら簡単にできると思えるからだ。

吸血のシーンは無い!

トリマルキオンの語る吸血鬼女のエピソードに、吸血シーンは無い。吸血行為を思わせるシーンすらない。
それでも「吸血鬼女のはなし」として成り立つということは、その場の全員が、ある程度吸血鬼女の予備知識を共有しているということだと思われる。(我々が、河童や化け猫のことを、信じているかどうかはともかくとして「認知」しているように)

貴重な、2000年前の吸血鬼の姿

「サテュリコン」の吸血鬼女のエピソードは、2000年前の小説の中に現れる吸血鬼の姿と考えると、非常に貴重なものである。
しかも、とても素朴に、「その辺であるような無いような話」として語られるところが、当時の人のイメージしていた吸血鬼女をリアルに描き出しているものと考えられる。

2000年の年月が経っても、人の心の中にある「吸血鬼の像」は、どうやらそんなに変わらないようだ。吸血鬼は、誕生したその時から、ほぼ完成されたイメージを持っていたのかもしれない。

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