*

ブラム・ストーカー Bram Stoker

公開日: : 最終更新日:2016/08/29 吸血鬼関連〈実在〉人名簿

「吸血鬼ドラキュラ」の著者。世界一有名な吸血鬼作家。(1847.11~1912/4 ダブリン生)
正式な本名は、「エイブラハム・ストーカー」なのだが、愛称ブラムが定着しきっており、世界中どこでも通用するので、ここでも「ブラム」をタイトルとする。

スポンサーリンク


ブラム・ストーカーとは……

父、母ともに役人の家に生まれ、体が弱かったため、8歳までをほとんどベッドですごした。この時代に、想像力が培われたものと思われる。

16歳で、ダブリン大学のトリニティ・カレッジに入学。この頃から、演劇に興味を持ち(父親ゆずりらしい)、劇評を書くようになる。その評が認められ、新聞社「メイルズ」の演劇部記者となり、名優ヘンリー・アーヴィングと親しくなる。
アーヴィングは、ブラムの演劇に対する情熱を知り、自分の劇団に引き抜き、自分の秘書とした。
劇団で、ブラムは営業や広報のほか、事務仕事を総合的に担当し、ちょい役で舞台出演も果たしている。

あるとき、ファニュの「カーミラ」を読み、自分も吸血鬼ものの小説を書くことを思い立ち、吸血鬼伝説について綿密な資料調査を行い、「吸血鬼ドラキュラ」を書き上げた。(そのとき、副次的にできた短編物語を集めたものが「ドラキュラの客」
ドラキュラを書くにあたって、ブラムは、アーヴィングの計らいで東欧の伝承に詳しい学者アルミニウス・ヴァンベーリに会見し、知識を授けられている。
「吸血鬼ドラキュラ」は、アーヴィングの劇団の芝居にかけられ、評判を呼んだ。

アーヴィングが亡くなってから、ブラムも演劇界から離れ、いくつかの小説を執筆したものの、「吸血鬼ドラキュラ」ほどの小説は生まれなかった。
ちなみに、ブラムの生前に、「ドラキュラ」は映画化されていない。

ブラムは、何点か写真が残っている。いずれの写真でも、短い頬髯のおじさんである。古い写真なので、どれもぼやっとしたモノクロで、ちょっと怖い感じがする。しかも、ブラムの表情が、いかめしくて怖いのである。無論、読者を怖がらせるために撮った写真ではなく、単にかしこまった肖像写真を撮ったらそうなったのだろうが、ホラー作家としてはいい感じである。

私生活では、1878年に、フローレンス・アン・レモン・バルコムと結婚している。

ブラム・ストーカーの著書

「ヘンリー・アーヴィングの思い出」
「吸血鬼ドラキュラ」
「ドラキュラの客」
「白蛆の巣」
「七つ星の宝石」
(小説以外)「アイルランドの小審判所書記の職務」1879年
ほか

創元文庫 「吸血鬼ドラキュラ」ブラム・ストーカー
国書刊行会 「ドラキュラの客」ブラム・ストーカー

関連記事

テレンス・フィッシャー

映画監督。 英ハマープロ製作の映画「吸血鬼ドラキュラ」を監督した。 吸血鬼もの、その他のホラーも

記事を読む

カレン・ロバーズ Karen Robards

アメリカの作家。どうやら、ロマンス系の作家らしい。 アメリカでは人気のある作家らしいが、邦訳はわず

記事を読む

ローズ・ヘンダーソン

「ロンドンの吸血鬼」事件の、7番目の被害者。《ロンドンの吸血鬼》こと、ジョン・ジョージ・ヘイグに殺さ

記事を読む

ヘンリー・カットナー Henry Kuttner

アメリカの作家。(1914~1958) 吸血鬼ファンにとっては「怪奇小説作家」だが、世間的には「S

記事を読む

カール・ジャコビ

アメリカの作家。 新聞記者という本業を持ちながら、小説を執筆。怪奇テイストの強い物語を得意とした。

記事を読む

エドワード・エヴァレット・エヴァンズ  Edward Everett Evans

アメリカの作家。(1893~1958) 怪奇小説と、SF小説の作家。 ●E・エヴァレット・エ

記事を読む

リチャード・マチスン Richard Burton Matheson

アメリカの作家。SF、ホラー、ファンタジーを得意とする。 巧みなストーリーテリングと、独特の味わい

記事を読む

アントニー・バウチャー Anthony Boucher

アメリカの、作家、評論家。 評論家としての活動の方が有名なので、作家だと思っていない人がたまにいる

記事を読む

倉橋由美子

日本の作家。クールに世相を描く小説も書くが、幻想・SF風味の作品も多い。翻訳も行った。 ●倉橋

記事を読む

マイケル・ヴィサロフ

吸血鬼映画「魔人ドラキュラ」と「古城の妖鬼」に出演した俳優。どちらも監督はトッド・ブラウニングであり

記事を読む

PAGE TOP ↑