ヴラド・ツェペシュ(ヴラド三世)

ヴラド・ツェペシュとは

1431年?(シギショワラで生まれた)~1476年?に、実在したワラキア(現ルーマニアの一部)の君主。ヴラド二世の息子。
大国に囲まれた小国の領主の家に生まれた環境に振り回される人生を送った。

ブラム・ストーカーが、「吸血鬼ドラキュラ」を書くにあたり、ドラキュラ伯爵のモデルにした人物として有名。現在では、すっかり「実在のドラキュラ」の呼び名が定着している。また、吸血鬼小説には、ヴラドを登場させるものが数多くある。

ツェペシュ=「串刺し人」

並外れて残酷な性格で、敵だろうが、自国民だろうが、気に入らない人間は冷酷に排除した。
拷問を思いつくのが得意で、人間を、太い杭で串刺しにして、その辺に立てておいたりするのが好きだった。そのため、「串刺し公」との異名を持つ。
「ツェペシュ」とは、姓ではなく、「串刺し人」という意味であり、要するにあだ名である。

串を刺す行為が、吸血鬼退治の杭打ちに、なんとなく通じるものが感じられるが、ヴラドがそこから串刺しを発想したのかどうかは不明である。

串刺し以外にも、「釜茹で」とか、「皮剥ぎ」とか、「釘付け」とか、色々好きだったらしい。

ブラドの家族

  • 父:ブラド二世……暗殺された。この人も残虐な人だったらしいが、息子のブラドよりはマシだったようだ
  • 母:ヴァシリッサ
  • 兄:ミルチャ……生き埋めにされて殺された
  • 弟:ラドゥ……幽囚時代をともに過ごした
  • 妻……城の塔から身投げして亡くなった
  • 息子:ミフネア、ヴラド、ミルチャ

ブラドは吸血鬼だったのか?

ヴラドの遺体は、スナゴブ修道院に葬られており、1973年の発掘で、遺体が確認されている。(遺体といっても、白骨である。当然だが、小説のドラキュラのように、「生けるがごとく」横たわっていたわけではない)

ドラキュラが、死後、吸血鬼になって現れたという伝説は特に無い。ただ、あまりに残酷だったので、「人の道に外れた者」として大地に受け入れられず、不死者=吸血鬼になったのではないかと、迷信深いルーマニアの民が考えたとしても、それほど不思議は無いだろう。

ヴラド・ツェペシュ超簡単年表

  • 1431年? シギショワラで誕生
  • 1444年  人質としてトルコに幽囚される
  • 1447年  父と兄が暗殺される
  • 1448年  解放されワラキアに帰り、2か月間(11~12月)ワラキアを統治。しかし12月末にヴラディスラフ2世に追われ、モルダヴィア公国に逃れる
  • 1456年  ワラキアに帰還し、再度統治する
  • 1462年  妻が自殺する
          前年からのトルコとの戦いに敗れ、ハンガリーに亡命。ハンガリーで収監される
  • 1476年 10月 ワラキアに帰還し、統治者となる
         12月 トルコと交戦中に自軍の兵士によって殺害される 
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